2011.11.24
積読本が増えてしまって困る読書の秋(もう冬?)、ジョブズの自伝本『スティーブ・ジョブズ(Ⅰ、Ⅱ)』を読み終えた。
上巻はカウンターカルチャーの匂いを全身にまとった若き日のジョブズの毒気にたっぷりやられる波乱の半生。まばたきもせず相手をみつめる超然とした態度、他人を自分の意のままコントロールしようとする強すぎる自我には読んでるだけでも辟易とさせられるが、それでも彼の天賦の才は敬服しないでいられない。
97年に追放されたアップルに返り咲き、世界一の会社に導くまでの下巻では、画期的な製品が開発されるプロセスが克明につづられぐいぐい引き込まれる。ものづくりやデザインに関わる仕事につく人にとってこれほど面白い読み物はないのではないか。
さまざまな胸を打つエピソードがある。まずは幼年時代。
養父であった父を彼は心から愛し、ガレージで工作や機械いじりを学んだ。そこで父から、戸棚や柵をつくるときは見えない裏側までしっかりつくらなければならないと教え込まれる。ジョブズの完璧主義の原体験はここにある。
マルチタッチの開発をきっかけにiPhoneが生みだされるまでを記したパートは本書のクライマックスのひとつ。ジョブズとジョナサン・アイブと技術チームが6ヶ月の苦闘の末、アップルにとってもっとも素晴らしい製品のひとつを生み出すことに成功する。
「あんなにややこしくて楽しかったことはちょっとないよ。『サージェント・ペッパーズ』の変奏曲を作っているような感じだった」というジョブズの言葉も秀逸。
ジョブズとビル・ゲイツの最後の対話はとりわけ感慨深い。闘病中のジョブズの自宅をゲイツが見舞いに訪ねたその日、パーソナルコンピュータの基本原理(「ハードウェアとソフトウェアを一体化すべきかオープンにすべきか」という論争)において対立しつづけた両者が2人きりで語った話が明かされる。
僕自身は決してジョブズやアップルの熱狂的なファンというわけではない。現在、会社にはマックしか置いていないが、Boot Campを使ってOSはWindows7を使用している。業務にあわせて最適化した結果こうなっている。しかし彼がつくりだした製品やその製品にこめられた思いには、他に感じることがない強い共感をおぼえるのは事実。
ジョブズが製品を作るときの基本思想は、84年にマッキントッシュを発表したときのキャッチコピーであらわされている。マッキントッシュはGUIを搭載し、マウス操作でPCを動かす環境を初めて一般的なものにした伝説的なマシンだった。
このときジョブズは「The Computer for the rest of us」という表現で自らの信条を披露する。
「コンピュータの専門家以外のためのコンピュータ」。
つまり誰もがつかえるコンピュータをつくるということだ。
僕がはじめて買ったパーソナルコンピュータはマッキントッシュのPowerBook G3だった。当時はマック最速のノートPCと言われ40万円もした。それは音楽事務所で仕事を始めた90年代の終わり頃のこと。
音楽事務所もいろいろあるが、僕がいたのはプライベートスタジオに最新のハードディスクレコーディングシステムを導入している、楽器よりもコンピュータの方が多いような環境だった。もちろんそこにあるPCはすべてマック。音楽制作のためのソフトウェアはマック向けしか存在しなかった時代である。
実は僕とコンピュータとの出会いはあまり素敵な体験とはいえない(というかかなり恥ずかしい)。90年代の初め、前職の業務で使用していたNEC製のOCR専用機が初めてのコンピュータとの出会いだった。
そいつは巨大なテーブルと一体化したディスプレイと付属キーボードを備え付け、洗濯機2個分くらいの大きさがあった。こいつに向かい、マニュアルを片手に意味不明の英文のコマンドを打ち込む。準備が整ったら、手書き文字が書かれた専用シートをOCRに読み込み、その結果を目視で正誤判定する。間違っていればキーボードで入力し直し、正しければリターンだ。
残念ながらこの巨大な装置に興味や憧れをおぼえることはなく未来も感じられず、ただ作業をこなす電子装置として触れることしかできなかった。
典型的な文系人間の僕にとって真っ暗な画面に緑色の半角英数文字が浮かび上がるコマンドラインはあまりに奥深く、底知れず、どう扱ってよいのか見当もつかない代物だったのだ。なんというか「完全にテクノロジーに敗北を喫した」苦い思い出。
敗北から5年ほど後、マックに出会った。そのGUIをはじめて見たときは一目でほれ込んでしまった。起動するとモニター中央に現れるマッキントッシュアイコンのスマイルにまずはシビれた(笑)。画面上のフォントやアイコン、操作するときのちょっとしたサウンド、これらのひとつひとつが実にシンプルで美しくフレンドリーだった(陰気なアイツとは大違い)。
当時はすでにマイクロソフトのWindows95も使っていたが、マックは何かが決定的に異なっていた。Windowsは自分にとって仕事道具だったけどマックは「相棒」のような存在とでも言うべきか。とにかくクールでキュートなのだ。
マックを使っていろんな仕事をした。事務所が運営していた音楽レーベルのWebサイトはファン同士のコミュニケーションが活発に繰り広げられる素晴らしいものだった。僕はそのサイトの運営を任され、事務所に出入りしているフリーのWebデザイナー2人と一緒にサイトをいじくったりリニューアルしたり、ネットの世界を大いに楽しんだのだ。
今思えば、ジョブズの言う「the rest of us」はまさに自分のことで、あんなにいやだったヤツがすっかり姿を変え、僕の相棒となったのだ。おどろくべきことに。
一緒に仕事をしていたフリーのWebデザイナー達もそうだろう。彼らは美大を卒業した新しもの好きでテクノロジーの勉強なんかしたことはなかったのだから。
当時はコンピュータの専門学校など行かずにDTPや他の事務職からWebに転向したデザイナーが増え始めていた。これが99年頃の話。
ジョブズはその後も「誰もがつかえるもの」という信条を実践し続けた。
iPodは「The Music player for the rest of us」であり、
iPhoneは「The Mobile phone for the rest of us」なのだろう。
我々はかさばる音楽メディアや複雑なリッピングサービスから開放され、ひらがな一字を入力するのに何度も物理ボタンを押さなければならない携帯電話の複雑怪奇なインターフェイスから自由になった。
だれもが使えるようにすること、むだなものを省きシンプルで美しいものをつくることにジョブズは生涯をささげ、我々は圧倒的にそれを支持した。
そのことはアップルが現在世界最高の価値をもつ企業であることでも証明されている。
2011年3月2日、iPad2を発表した基調講演の最後のスライドは「テクノロジー通りとリベラルアーツ通り」が交差する印象的な写真で締められている。
最高の技術とさまざまな知性との交差点に立つこと。つまり直感に訴えるものを生み出すことがアップルの使命だとこのスライドは示していた。ここでも同じことを言っているわけだ。
本書を読んでそれがジョブズ自身の強い信念であることがよくわかる。
アップルがつくったマッキントッシュに出会ったことは個人的にとてもよい転機となった。あの頃、マックを使ってWebデザイナーと一緒にインターネットの大海原につかり、そこに果てしない未来を見出した日々がなければ今こうしてWebの仕事をしていることもなかったろう。
そんな個人的な思いもあるしアップルの素晴らしい思想は絶えてほしくない。
スティーブ・ジョブズの信念が永遠につづくことを切に願うばかりだ。
(廣島)