2011.07.22
昨日、ぴあの最終号が発売された。この号を最後に39年の歴史に幕を下ろすという。ついにこの時が来たかと思う。同時に、もう十分に役目は果たしたんだろうとも思う。それでも、僕が初めて社会に出たときに勤めた会社の看板商品であるし、やはりしみじみと感じるものがある。
進学を機に上京した地方出身者にとって、ぴあは街歩きに欠かせないナビゲーターだった。ご多分に漏れず僕も大いに世話になった。Googleマップも食べログもジョルダンも存在しなかったあの頃、ぴあを頼りに単館上映されているチープなB級SF映画を観たり、小劇場ブームの頃は手あたり次第に芝居小屋へ足を運んだりもした。
最終号は及川正通さんが描いた表紙1300点が掲載された特別企画の仕立て。パラパラとながめていると、なつかしいという感情だけでなくさまざまな思いが去来する。
1992年にぴあに入社し最初に配属されたチケットの電話予約センターの頃は、毎週最新号がデスクに届けられるたびに本誌の興行情報のすみずみまで何度も目を通し、赤字でたくさんの書き込みをしたものだ。この雑誌に書いてある情報で知らないことはないと言えるくらいになるまで。
数年後、音楽興行の担当になってからは自分が担当しているアーティストをなんとか表紙にするべくたびたび編集長にかけあったりもした。表紙はそのときどきで輝いてる旬の人物から複数の候補を選び、最終的には及川さんの判断で決められていた。社内の政治力やビジネス的な駆け引きは通じない、そこはいわば聖域だった。さまざまは画策やゴリ押しをしてもなかなか表紙をとることはできなかったが、そういえばエリック・クラプトンのときだけはあっさり決まった。もしかしたら及川さん自身がクラプトンのことを好きだったのかもしれない。いや、きっとそう。
もうひとつ、今思い出したことがある。
新入社員研修の最後に「未来のぴあ」なる課題でレポートを書かされた。あのとき僕は、首都圏を中心におこなわれるライブや芝居をコンピュータのネットワークを通して地方の誰もが見られるインフラを作りたいというような妄想を書いた。今から考えると、USTREAMのようなことかもしれない。
残念ながら現在、ぴあ自身がUSTREAMのような斬新なインフラを作ってネット社会でイニシアチブを取るような状況にはないが、雑誌ぴあの休刊後、これからまた新たな展開があると聞く。本誌には「うれしいつながりメディア」を始めると予告も出ている。これがどういうものか詳しくは知らないが、個人的にはぴあがネットの世界でも人々を驚かせるような存在であってほしいというひそかな期待がある。1984年、日本で初めてオンラインによるチケッティングサービスを始めて革命を起こした、そのDNAを引き継いだ新たな展開を期待したい。
これからのぴあの躍進にエールを送りたい。
(文責: 廣島健吾)